いつもの日常

頭の中をさらけだす記録

遅刻は努力を無駄にするんだなあ

遅刻ってなんなんですかね。前の記事で時間についても書いたんですけど、その中にも遅刻についての記載があります。遅刻…

 

よく言われるのが遅刻は相手の時間を奪っているということ。確かにそうですね。ただ今感じたのはこれって相手が自分のことを待っているときにしか通じなくね?ってこと。ただ、例えば大学の授業みたいに生徒が遅刻しても淡々と授業を進行させる場面においては相手の時間を奪ってはいないですよね。ただ、入室したときに教授の気持ちに影響を与えると思うので結局悪いものは悪い、今思ったけど大学教授ってどんな気持ちで授業しているんだろう。なかなか大変だよね遅刻者多いし。

 

なんで今こんなこと書いてるかっていうと、今スペイン語の授業での遅刻の埋め合わせのためにレポート書こうかなあと考えているんですよね。

最初は戒めとして書かずに成績低下を受け入れようとしていたんですけれど、あまりにも自分の成績がそぐわないのでさすがにレポートをかかなければと。そして書くことで戒めにしようかなと考えております。遅刻かあ。

 

遅刻の所感はこれも時間についての記事と丸被りなんですけど遅刻して到着した後の虚無感なんですよね。欠席ではないので一応その物事には参加しているわけですよ。だからこの何とも言えない罪悪感と俺何やってるんだろうっていう虚無感。

 

とりあえずここから先はれぽ書き終わったら書くことにします。(2024 1/24 13:43)

 

 

 

はい、てなことで現在レポも書き終わり、春休み真っ只中でっす。(2024 1/16 13:17)なんか時間帯も似通ってんなおい。遅刻はよくないよね。時間はお金です。俺らは時間をお金で買っているんだなあとも感じています。交通手段なんでまさにそうですよね。時間的に早ければ早いほど値段は上がる。時間短縮の分時間をお金で買っているってことですよ。時間の無駄はお金の無駄。生産せよ。

スペイン語が終わった そして大学課程の一年分が終わった

 スペイン語の授業が終わりました。今感傷的な気持ちになっています。スペイン語はほかの授業とは違い面白かった。もともと言語、特に外国語は好きであったしなにより先生が面白くてよい人だった。なんやかんやで一年間。課題が多くて重かったけれど、2セメに入るときに驚くほど履修者が減ったけれど、あの先生の下でスペイン語を習うことができてよかった。もし入れたらでいいけど、たまにはあのwebsiteをのぞいてみたい。

 

 スペイン語の授業は週二で一年間だったので何気一番出席している授業なんですよね。だから一番思い入れも深い。スペイン語楽しかったなあ。スペイン行きたかったなあ。本当に先生いい人だったなあ。

 

 先生について思うところがあるんですけど、教える人って本当に大事ですよね。恩師という言葉があるぐらいで。でも恩教科という言葉はないわけで。だから先生の存在って大きいですよね。自分が好きな教科でも先生が合わなかったらなんか本当に好きなままではいられないと思うし、あまり興味がなかったり嫌いであったりする教科も先生との相性がよければ意外と持ちこたえたり、好きになったりします。先生に感謝です。

 

 いやあスペイン語を続けていきたいですね。スペイン語学習は続けなくてもいいからスペイン語を続けていきたい。そしてフランス語もある程度は頑張りたい(バ先)。そうじゃなきゃ先生に申し訳ない。duolingoかな?

 

 先生、一年間ありがとうございました。¡Muchas Gracias!

 

 そしてさらりと書いているんですけれどもう一年分の大学課程が終わったんですよね。なんか回りくどい書き方をしているんですけど、これは大学生の休み期間は長く、実際に一年間みっちり勉強期間があるわけではないのでこの書き方になりました。まじで一年早すぎ。あとこれが4回しかないの???

 

 

 

 

 

 

no media life

 なんかちょっと書きたくなったので書きます。blogってそういうものだよね。文字に起こすことで自分の考えを整理することができるということを実感しています。その過程は面倒だけど気持ちいい。そういえば昨日の英語の試験でそういう文章だったなあ。LINEなどのtextingについて。

話すことと書くことの二つに着目したとき、話すほうは自分も相手も言葉に即時性があるから早さはよいけど内容への思考が足りない。書く方は逆で、例えば手紙などでみられるように、相手からの反応も即時性はないが、内容にはより思考が伴う。そして、現代におけるtextingは書くけれど即時性があるっていう話すと書くの二種類の面を持ち合わせるという記事でした。

 

自分の場合は書きなぐるようにblogを書いているのでtexting寄りですね。ただ、そうとはいえども書くときに考えてはいる。

 

 

はい、ということで最初から結構長めに逸れたんですけど、ちょこっとそこでも書いたように今の時期は大学生は学期末でテスト・レポート期間なんですよね。文系の人はレポートが多くていいなあ。いや、本当にいいのか?

 

まあまた逸れましたけれども、大学生のテスト期間はどうも難しい。

 

いつも勉強していないんだからこの時ぐらい勉強しろよ。いうても3,4週間じゃねーか。

はい、その通りでございます。学生の本文は勉強。落単(落胆)して親を泣かせるわけにもいかない。

 

わかってはいるんだけど、現実はそううまくいかない。気づいたらスマホに手が伸び、何も手につかずに時間がたっていく~。そして自己嫌悪かつスマホのいじりすぎで頭働かなくなるっていう。しかもめちゃ長く感じるこのテスト期間。

 

自分はテスト勉強ばかりやりたくないので、バイトとかサークルも通常通り・・とはいかなくてもそこまで頻度を減らさずにテスト期間を乗り越えていきたい派の人です。まあこだわりなんですけど。

そんな中で、新バイトを見つけたからかな?なんか最近勉強できる。いや、勉強できるというよりスマホに対する耐性が付いたのかもしれない。いつもならやべえ昨日の夜からインスタ見てねえ。24時間で消されちゃうから見なきゃ~とか言ってスマホにかぶりつくのに、なんかまあいいやってなる。なんでしょうかこの現象は。別に見たくないわけでもないし確かに気になりはするけど、まあ別にいっかなの程度で収まる。むしろ本を見てえって思っちゃう。

 

一個思ったのは、一回テスト受けると、すごい頭疲れるんですよ。そしてこの頭にスマホを入れたくないって思っちゃうんですよね。もしくはテスト後に頭がさえていてそこにスマホを入れたくないっていう。

やっぱり作業興奮とかがあるんでしょうね。それは確かに感じるかも。長い目で見た作業興奮。ずーっと上がり下がりもせず脳が動いている状態。

 

実は今あんまり体調良くなくて風邪気味なんですよね。これも逆に変に落ち着いてスマホに興味がいかないっていうことなのかも。

 

まあいろいろ書きましたけれど不思議ですねえ。いつもはあんなにスマホに触っているのに。

 

でもよく言われてますけどスマホなし生活いいですよ。心の上下があまりないように感じます。やっぱりスマホ見てると感情の浮き沈みが激しくなるのかなあ。

 

朝早起きして本をたしなむっていう生活。いいですね。

じかん

 時間について書こうと思います。現在、2023年12月31日8:56。

 

 時間がたつのは本当に早いですね。これはよく言うことですし自分でも感じています。ただ、この感覚は常に持っているわけではないですよね。長い目でみて、振り返ってみると、もうこんなに時がたったんだ、ということは往々にしてあります。それがまさにこの、大きな規模からみる、時間がたつのが早い。ということだと思います。

 

 怖いですね。自分は今年の夏にblogを始めて、じゃんじゃん書いていくぞと思ったけれどもなんやかんや書かずにいて(ここ重要。「書けず」ではない)もう今年の最後の日になってしまいました。別の記事で、忙しさについて書いたと思うのですが、自分は忙しくもなんともなく、blogを書けるであろう時間に他のことをしていました。やる気がなかったわけではないですが、単純に存在を忘れていたのだと思います。blogを書く時間はあったということ。この記事も書こうと思ってから何回あと伸ばしにしたか。そしてもう本当に年末になり、何が何でも書くということに。ほら、やっぱり書く時間はある。

 不思議ですね。こんなにも時間が早くたつというのに、要所要所でみると時間がたつのが遅く感じるということ。遅刻ってありますよね。特に朝にある現象なのですが、朝って時間がたつのめちゃくちゃ早く感じません?そして案外余裕をもって起きることができた朝に限って最後の方に時間が無くなり遅刻をするという。ただ、例えば、遅刻したあとの大学の授業や、ぎりぎりで着いたあとのバイトはかなり長く感じる。時間の流れが遅い。本当になんなんでしょうかこれは。

 

 この小さい規模の時間の感覚が積み重なり、時間がたつのは遅いと思っているのに、気づいたら一日が終わっているということもしばしば。本当に不思議。だってこの記事を書いている今でも、まだ描き始めて15分もたっていない。なのに例えば、ここで自分がスマホを取り出すと、15分なんで一瞬で過ぎ去ってしまう。

 時間の密度の問題なのかな?とも思います。例えば朝の歯磨きや洗顔等の身だしなみを整える時間は、自分と向き合い作業をするので時間の密度は高いですよね。だから時がたつのが早い。でもスマホをいじっている時間は密度が高いかと言われれば、そうとは言えない。例えば、今ここでblogを打つ手を止めて、1分間数えてみる。長いのか短いのかはわからない。ただやっぱり数えているときはまだ20秒かあ、とか思うのに、数え終わったら1分たったのか、という気持ちになる。やはり、人間は終わってから振り返るときに時間の早さを感じると思います。例えば、図工の時間に真剣に作品を作っていたり、数学等の試験を受けていたりすると、本当に早く時間がたつ。それも、集中して物事を行い、ふと時計を見たり、チャイムが鳴ったりして、時間を気にする、つまり振り返る時が来て初めて、「あっ、もうこんなに時間がたったんだ」と気づく。

 ばいと中の時間は本当に長く感じます。たしかに、4,5時間という時間をまとまって休憩なしに一気にとるともなるとまあまあ長い気もしますが、それでも長く感じてしまう。これに関してですが、人間はその過程の最中に時間を気にするとき、遅く感じてしまうのかなあと思います。ていうか、時間が遅く感じるからまだ時間たっていないかなあって何度も時間を確認するんですよね。

 

 これだけ書いてきて何を思うかって、人間の時間の感じ方は一定ではなく変化するということ。そしてそれなのに時間がたつのが遅い感覚を引きずり、時間はまだあるからなどといい、振り返ってみると時間がたち、自分が時間を浪費したことを後悔する。これがなんとも悲しいなあと。年末までに大学の課題を片付けるぞと何回も思いつつもう年末。間に合いません。旅行に行くぞ!と決めて計画を立てよう立てようと思いつつも何にも考えずに当日になって電車の乗換案内に打ち込みまくる。早割も間に合いません。

 

 時間が長いという感覚を引きずってしまうのが良くないのだなあと感じます。自分の場合はそれもあり、あと伸ばしや、優先順位のつけ方が間違ってしまう。時間は有限ということを意識して生活していきたいですね。

 時間は本当に不思議。さて、今日もこれからバイトです。今のバ先で働くのが今日で最後です。そして帰ったら旅行にの計画を急いで立てて寝ます。え、まだまだ時間あんじゃん。そんなことはないよ。時間は短いからね。

 

 今回は時間の感覚についてでした。時間に関して考えることは哲学みたいで本当に興味深く、今回の記事で自分も何を書こうとしたかよくわからないままつらつら書き述べていきました。時間に対する感覚はその状況によって違えど、時間は平等に過ぎ去っていきます。充実した時間を過ごしたいです、なんてありきたりなことを言うけれど、確かに充実にた時間を過ごしたら暇な時間はなく、時間がたつのは小さい規模でも早く感じそう。ただ、遅く感じる時間も必ず日常生活では出てきます。その時にゆったり流れる時間に身を任せることもいいことだと思います。ただ、自分が今何を感じているかというと、遅い時間の感覚を引きずってしまってはいけないということです。

 

2023/12/31/9:40

 

 

 

りまいんど頼みますってなに?

りまいんど頼むって言ってくる人いますよね。これについて皆さんはどう思いますか?

 

そのりまいんどの内容によると思うのですが、自分はあまりいい気がしません。

 

そもそもの話、自分でりまいんどしろよってこと。今の時代あぷりでもなんでも、手にマジックペンで書くにしろ、自分でどうにかしろよと。

 

で、今回自分は何にキレているかというと、お出かけの約束をしたら、友達がりまいんど頼むって言ってきたんですよ。これ普通にきれるし、悲しかったです。

 

もしその友達がその約束を楽しみにしていたら、忘れることなんてないですよね。しかも忘れようものなら、それこそ自分でりまいんど設定しますよね。友達が自分にりまいんどを頼むってことは、自分との約束は大事ではないんだ、忘れるほどのことなんだ。って思いました。

 

しかもそれを自分に言うから、面と向かってはっきり「あなたとの約束はその程度のもの」と言われたようなものです。悲しい。

 

反面教師

お互い様っていうこと

これは、ある授業で自分ともう一人でプレゼンを準備する過程でのお話です。

大学生というもの、いかんせん勉強をしない。すなわち、おのずと課題が溜まっていく。そんな中で、相方E君は忙しく、毎週金曜日までに宿題的な、ここまでやろうというものが提示されるのですが、E君は前日もしくは当日にやるような人(自分もそうだけど)で、最後の大詰めの方では、当日に間に合わないということもありました。というのも、E君はある特定の授業の単位を取得すると資格が認定されるprogramに参加しており、26単位を取ろうとしていました。

 

そのせいか、今考えてみれば仕事の負担は平等ではなく、E君側に偏っていたなあと思いつつも、「忙しい」と言っているE君にイライラしていました。いくら忙しいと言っても、課題をやる時間ぐらいあるだろ、スマホとか見なければいいだけじゃん。とか相手の状況もわからずに勝手に不信感を募らせていました。

 

自分は「忙しい」という言葉に敏感だと思います。「忙しい」と言っても、さらに忙しい人も全然いる。また、忙しくても、自由時間(それこそスマホとか)を減らせば余裕ができるわけでその点ではそこまで切り詰められていない→忙しくないというふうに考えていました。忙しいって言ったらなんか意識高い系の人だと思われそう。実際は忙しくないくせに何言ってんだ。等に自分でも思っていました。

 

それでも実際に「忙しい」状態はあるわけなのも事実。

 

そんなこんなで実際に最後の授業で発表が終わり、帰り際に自分が、「忙しいのにたくさん仕事任せちゃってごめんね。」と言うと、E君は、

 

 

「お互い様だから」

 

 

と言いました。この時急にハッとして、自分のバカらしさに気づきました。お互いに忙しいと思いながらもE君はE君なりに頑張っていたんだ。自分は何を勝手にE君の状態を仮定してイライラしていたんだろう。と、急に我に帰って反省しました。

 

人間は社会の中で生きる限り、何かしらお互いに事情を持って生活しています。その中で自分は自分と割り切って役割を果たせるといいですね。

 

 

 

 

 

9月も出会いと別れの季節だった①

これやばいですね。最後にtitleだけ2023 8/31に書いて、今12/29に水戸で書いております。意味わかんない。

 

これ自分の住んでいる国際的な寮(以下、国際寮と呼びます)でのお話ですね。これちょうど一緒だったいぎりす人が帰った時に書いたやつ。①と称しているのは、新たに外国人が入寮したら②としようとしたからですね。現時点でもう2月で国に帰る外国人もいて、一緒にいる時間が半分以上終わったというのに。最初のころはとことん書いてやるって思ったけれども全然書かなかったですね。自分も最初の3ヶ月、いや1ヶ月もいかないで終わる側の人間だったかあ…

 

てなことで一応たいとるに触れておくと、日本の大学では春学期が前期、秋学期が後期となりますが、外国では9月入学だから逆だよっていう話ですね。ただそれだけです。

なんでそうなんですかね。でも多数派は外国式なので日本も9月入学にしないかという話が出ているそうですが、自分は入学の時期に桜が見たいので4月入学派で。

 

以上です。