いつもの日常

頭の中をさらけだす記録

時間に余裕がないとその後の生活も余裕がなくなる

 夏休みに帰省して、また一人暮らしを頑張ろう!と決意し、家族に携帯で感謝の気持ちをLINEしようと真昼の電車の中で思い立つと。。。

 

 

あれ、スマホがない?

 

 

 そんなことになった。そして、慌てて途中駅で降りて、人生初の公衆電話を使って自分の携帯に電話。夏の公衆電話は暑い。何度かけても出なく、まず、一人目は駅に入ろうとしていた若めの眼鏡をかけた男性に恥ずかしながらも「あの、すみません。。形態をなくしてしまったようで。。。電話を貸してもらってもよろしいでしょうか。。。」とお願い。「あ、大変ですね。。」と言われ、電話を快く貸してもらい、電話してみるも出ない。

 そしてもう一度公衆電話へ。ここでやっと公衆電話のありがたさ、現代での必要性に気づく。あ、俺みたいな人のために公衆電話ってあるんだ。ありがとうNTT。だがやはり出ない。そして母親に電話すると、「電話に出れません、ツーっという発信音のあとにーー」という例の言葉。え、絶対切ったじゃん。それもそのはず、後から分かったけど公衆電話からの着信は「電話番号なし」といった形で表示される。そりゃあ不審だよね。そしてその例の言葉を聞いて何も言わずに切ったら、さっき入れた100円が戻ってこない。。。10円単位でかけられるのにぱにくって100円を一言もしゃべらずになくす。何してんだろ俺。

 絶望しながらも2組目は駅の近くの休憩所に座っていたお年寄りの夫婦に声掛け。たまたま降りた駅が観光地の駅でよかった。。。そこで電話をかけても、やっぱり自分のは応答なし。母親は出でくれて、自分の携帯の位置情報がずっと駅のままでいることを気づき、察してくれた。

 そしてそんな風に電話をして、いったんその駅に戻るわと言っていると、後ろからガタンゴトンと音が聞こえてくる。あ、あれに乗って帰らなきゃ。とここで時間の余裕のなさが表れる。夫婦に感謝の念を伝えホームへ走る。その途中で駅員さんに会い、料金とかどうやって払えばいいですか!?(当時ぱにくりすぎて途中下車したのに運賃を払わずに出てしまったのだ。その駅は小さな駅だけど観光客がたくさん来るので謎にsuicaだけ対応していた。そして自分は携帯がないのでもちろんsuicaは使えない。てなことで改札を突破してしまったのだ)って伝えるも「あ、今もう列車来てるので、到着した駅で払ってもらっていいですよ。」と冷静に対応。さすが日本の鉄道を支える人々の一人だ。簡潔にすぐ伝えてくれた。その足で階段を上り、電車に乗り込む。なんやかんやで発車。

 さっきまで見ていた景色と同じ景色を電車は走っていく。もうあの時の俺の顔はやばかったと思う。まじで放心状態。さっき携帯を貸してくれた男性も乗っていたけれどあいつ終わったなって感じで見てたと思う。そうして20分ほどで元の駅に到着。また出発するって考えたら同じ景色を3回見るってことかあ。まず思いついたのはお土産を買った場所。そこのinformationに問い合わせても、落とし物の情報は届いてなかった。そして、次は昼ご飯を買ったところへ。問い合わせてみると。。。

あった。

 なんとレジの下の棚(よくある荷物置きのところ)に置いてあったという。よかったー。って思うとともに、その場所は出発前に確認したところだった。昼ご飯を受け取り、「よし、忘れ物はないなっ」って確認したことをはっきり覚えているぐらいだ。それなのになぜ?

 思い返してみればその時はあと5分ほどで電車が出発する時刻ですこし気持ちが焦っていた。でもしっかり確認したはずなのに。。。時間に余裕がなくなるとこんなにも注意力とかは落ちてしまうんだ。。。

 思い返せば前も、富士急に行ったとき、最後に念願の「ええじゃないか」に乗れて、サウナに行ったわけでもないのにめちゃくちゃトトノッテいた時。その乗り終えた時点で帰りのバスの時間があと5分ほどしかなかった。そんな中でも自分はどうしてもお土産を買いたく、途中で財布を落としたのも拾って、なんとかギリギリバスにたどり着けた。そして、リュックを漁ると、

スマホがないっ

 その瞬間、気づいたのが出発直後だったので運転士に行って、自分だけここで降ろして下さいと言えば済んだのだが、友達と旅をしていて、その後の交通網の券も買っていたので富士急にスマホがあるとわかりながらも断念。そして友達の電話で電話してみると、ジェットコースターに乗る前に預ける貴重品のロッカーにスマホがあったらしい。はあ。そして、富士吉田市からスマホを送ってもらい、4日ほどで届いた。そして返って来たのが誕生日の一日後。そういえば富士急に行く前日にもサッカースタジアムで財布落としてたわ。

 なんなんですかねこれは。時間に余裕がないとこんなにも負のことが起きるのでしょうか。逆に、負のことが起こるときは時間に余裕がないのでしょうか。長谷部誠は彼の著書「心を整える」にて、『遅刻は努力を無駄にする』と題した文章を書いている。この文章は自分は中学校時代の道徳の教科書にも書かれていて驚いたのを覚えている。時間の余裕は心の余裕。母からも大学生になって新生活を始めるとき、時間と気持ちに余裕を持てという旨の手紙をもらったなあ。母は見抜いていたのでしょう。母は偉大。

 

 

 時間に余裕を持とう。無駄な時間をなくしたいという気持ちがあるのも事実。そしたら暇つぶしを用意しよう。暇つぶしは嫌だと思うなら、”質の良い”暇つぶしを用意しよう。

 

 

 

 

青春って密なんですよお

 甲子園の準決勝ですね今日は。高校野球って青春だよね。特に盛り上がるのが、当たり前だけどサヨナラが出るかどうかの9回裏。野球そのものについて考えてみると、一対一の場面が多いからあそりゃあ盛り上がるのも当然。あの場面にただようピリピリとした緊張感。必死に応援している高校生の応援団と選手を見ていると感情移入しちゃう。青い春っていいなあ。てか1回ぐらい生で見てみたい。

 ちなみに僕は今現在大学生ですが全然大学生でも質と内容が異なった青春は全然送ることはできると思います。戻りたいかって言われると戻りたいのは中学校ですかねえ。まあ高校は卒業して1年しかたっていないっていうのもありますけどね。だからあと数年したら高校に戻りたいと思っているかもしれない。

 さて、冒頭にもある通り青春ってのはいろんな意味で密ですよね。何かを始めるのに遅すぎることはないっていうのは本当だと思いますが、青春に関しては、年齢に限度があるのかなあと思います。大学生は「人生の夏休み」とも言われますがその大学生活の中でもただいま夏休みです。とことん楽しみたいですね。 

ぱんぱかぱーん

 どうも!ただいま大学1年生で夏休み真っ只中の「そちるう」です!今回からは雑記のような形で日常の些細なことなどをつぶやく形で記録として残そうと思います。「いつもの日常」というこのblog名も結局いつも通りの日常が美しく、今の自分の土台となっているということを込めたものです。まあ、全然名前が変わる可能性があるんですけどね。このblogは他人に発信するものというよりは、僕が日々生きていてぼーっとでも何となくでも感じたことを書き連ねていく感じにしたいと思います。そんな感じでゆる~く書いたものをどこかの誰かが目にし、何か新たな刺激や気づきを得ることができたら幸いです。そして、このblog、というより経験記、つぶやきを書く過程で自分の頭の中を整理していったり自分と向き合ったり、よせられた意見・感想等をみて、僕自身も成長していけたりできたらなと思います。なので、本当に時間のある時に、まあなんか書いてるやついんなぐらいの気持ちで目を通してくれると嬉しいです。

 まあそんな感じで始まったわけですが、とりあえずどんなやつがこれ書いてるん?ってなると思うので自己紹介をしたいと思います。

 冒頭にある通り、僕は現在大学1年生であり、学部は工学部です。住居はこれまたなんとも外国人と共住する国際寮的なところに住んでいます。この寮で起きた様々な出来事も書いていこうと思っています。そして大学からdanceを始め、大変打ち込んでおります。なんかやっと真に熱中できるものを見つけられた感じです。趣味は、踊ること、音楽を聴くこと、お気に入りの自転車で街を颯爽と駆け抜けることです。楽しいですよ~。

 てなことで軽く自己紹介をしましたが、読みづらいものだと思います。感想(例:俺も踊るの好きだぜ😏)とかあったら何でもいいのでどしどし書いてください!全部見ます笑 

 

 そんな感じで1回目の記事はこれで終わりです。ありがとうございました!